伊勢エビの暮らしなのだー

西伊豆の伊勢海老の生態

制作 伊勢海老 アワビ サザエのカネジョウ商店

分布  イセエビ属は、熱帯から温帯の沿岸 

岩礁地帯に広く分布し、我が国ではイセエビ シマイセエビゴシキエビなど8種が分布します。
(イセエビ以外の漁獲は少ない)

主として千葉県以西の黒潮に接する地域で漁獲されわずかに茨城県.福島県にも分布しています。  

日本海ではほとんど漁獲されていません。

漁獲  伊豆半島では毎年9月の15日から5月15日までが刺し網漁の漁期です。

5月16日から9月14日までは産卵期の為禁漁になります。

年間の漁獲は秋の解禁時に多くのちに減少して、12月から2月に最低となり春先に多少増加します。

雌雄の区別 雄は第5歩脚基部(一番最後の脚の付け根)に肉質突起の生殖線開口部有り

雌は第3歩脚基部の付け根に肉質突起 また第5歩脚の先端が雌は分かれていますが

(卵を掻き出すため?)雄は分かれていません。

産卵  イセエビの産卵期は5月下旬から9月上旬で

最盛期は7月上旬から8月上旬です。産卵期になると雌の腹肢に卵の付着糸が発達する。

生殖腺開口部(雌の第3歩脚基部の肉質突起 雄の生殖腺は第5歩脚基部)から産卵された

卵は受精して付着糸に房状に付着し、そのままふ化まで発生をつづけます。

産卵されてから ふ化までの日数は平均水温21.4度で50日 25.1度で32日です。

抱卵数は400gのイセエビで約55万粒です。1産卵期に2回産卵する個体があり、

第1回のふ化後5〜6日でふたたび抱卵します。300gのイセエビで1番子52.4万粒 

2番子は12.4万粒です。卵の大きさは産卵時0.5mm内外 ふ化直前0.7mm早朝3〜4時に産卵します。

発生 成長  産卵直後の卵は鮮紅色で、

発生がすすむにつれて褐色 濃褐色と変化しふ化直前には多少白くなります。ふ化の時間帯は日没後1〜2時間です。

ふ化した幼生はフィロゾーマという体長1.5mmの透明なプランクトンです。フィロゾーマは14回前後

脱皮し成長してプエルルスに変態します。フィロゾーマの浮遊期間は 8〜11ヶ月で穏やかな内湾の

収れん域等の水の淀みに生息しています。餌はプランクトン(ヤムシ等)仔魚です。

プエルルス(頭胸甲長約8.0mm)は透明 扁平ですが、成体形に近くよく遊泳します。これが脱皮すると稚蝦に変態します。

プエルルスは筏や舟活洲に付着したり、潮溜りの石陰やテングサの寄草の中にみられることもあります。

遊泳能力があり夜間燈光につくこともあるといわれ、また、砂中にもぐります。プエルルスの出現数は

海況により左右され年によりはなはだしくことなるようです。プエルルスは2〜3週間で1回脱皮し

稚エビとなります。稚エビ期の餌は藻類 甲殻類微少巻貝 端脚類

稚エビは春3月頃から浅い所に移動し、カジメの密生する岩礁 転石 の間隙などの暗い所を好みます。

夏は2〜7mの浅い岩礁地帯 また7〜8月には陸礁と砂底地の間に潜在するものが多く、

冬には7ヒロ以上の岩礁の間隙の奥に住みます。成体になると岩礁の亀裂や棚にひそみ、

夜間這い出して活動します。羅網状態から「朝まづめ」「夕まづめ」に活動が活発になることがわかります。

エビは棲み場の選択性をもち、エビのよくつく場所では、そこから間引いても、すぐ他から移って来ます。

成体も季節的には、夏に浅所に上り、冬には深みにもぐります。昔から「出エビ」と呼ばれる現象は 

春 秋の浅深移動で動きの大きい場合だと思われます。標識放流では、18日後に

最高6Kmはなれた場所で再捕された例がありますが、ほとんどの個体は、放流地付近で

再捕されているので、群として大きな地域的移動、または回遊はないと思われます。

成体の餌は巻き貝 カニが周年とくに多く、他に魚 エビ フジツボ ウニ 海藻を食べています。

「この伊勢海老は何年位生きているのですか。」お客さんがよくする質問です。

静岡県水産試験場伊豆分場に聞いてみました。ふ化後約1年で稚エビになる。

稚エビから1年で甲長42mm 

   体重約70g 1令の伊勢海老 (ふ化から2年)    

2令の伊勢海老 甲長52mm 

   体重約130g(ふ化から3年)

3令の伊勢海老 甲長62mm 

   体重約200g(ふ化から4年)

4令の伊勢海老 甲長72mm 

   体重約300g(ふ化から5年)

静岡県水産試験場伊豆分場だよりから 平成9年10月号より

白い伊勢エビの脱皮
伊豆分場だより第262号で報告し飼育中であった白い伊勢エビの脱皮が確認されました。
脱皮が確認されたのは平成9年6月30日で、脱皮後のエビも脱皮殻も同様に白く、このことにより、
白い体色は飼料環境等の影響ではなく、何らかの遺伝的要因により色素が欠けているものと
思われました。ちなみに、この伊勢エビは、採補された平成7年11月13日の時点では
頭胸甲長4.7p、95グラムで、平成8年7月8日に脱皮殻未確認ながら頭胸甲長51o、体重105グラム
に脱皮成長し、今回は頭胸甲長56o、体重130グラムに成長していました。

特大伊勢エビの採補
平成9年9月30日に、頭胸甲長13.0p、体重1.6sの雄の特大伊勢エビが、南伊豆町子浦湾内の
自主禁漁区で、子浦伊勢エビ刺し網組合によって採補されました。
本県のこれまでの記録では、伊豆分場だより249号に頭胸甲長13pの記録がありましたが、
残されていた殻を精密に測定してみると12.8pの雄で、今回の個体の方が大きいことになります。
全国的には、長崎県三井楽で頭胸甲長14.0p、体重1.87sという記録があり、
千葉県大原では推定頭胸甲長13.05pという推定結果があります。(恒星社厚生閣「エビ.カニ
類類の増養殖」より)。したがって、今回の記録は伊勢エビの最大記録ではないものの、
最大級の記録と言えます。
エビの年齢については、脱皮してしまうため、現在調査手法が確立されていませんが、
成長式等から考えると着底後10年以上経過しているものと推定されます。
今回の採捕場所は自主的な禁漁区であり、資源管理を行えば伊勢エビもここまで成長するという意味で
興味深い事例と言えるでしょう。伊勢エビ漁は、浜の長い歴史の中で、地先ごとの現在の取り決めが
できあがっているものと思いますが、今回の特大エビは、もう一度伊勢エビの資源管理を
考えなおしてみる良い機会を与えてくれたのかもしれません。
以上静岡県水産試験場伊豆分場だよりから 平成9年10月号より


以下 財団法人日本栽培漁業協会  「さいばい」 1995.4 より
イセエビ資源とその増殖    野中忠
    1種苗生産の歴史、
 わが国でのイセエビの研究は,1899年に発表された服部他助・大石芳三の「龍蝦孵化試験」に
 始まります。イセエビの生態を知るために,先ずは幼生(フイロゾーマ)の飼育から手掛けたので
 すが,フイロゾーマ幼生は孵化するものの成長しません。その後,多くの研究者がこの研究に挑戦
したのですがなかなか脱皮・成長せず、ほぼ50年後に最初のの二回の脱皮に成功し前途に燭光をえ
て,研究が積み重ねられ1978年には最終期フイロゾーマまでの飼育結果が報告されるまでに達し
ました。それでも,フイロゾーマ幼生が変態してプェルルス幼生にまで飼育するのには,その後10
年の時を要したのです1988年に三重県水産技術センターと北里大学は,それぞれプェルルス幼生
までの飼育に成功しました。飼育試験が始まってから,孵化幼生を飼育するという目的を達する
までに約90年の時を経たのです。
1989年には日本栽培漁業協会南伊豆事業場が,種苗量産を目的とした飼育試験を開始して,年々
プェルルスさらに稚エビにまで変態させる個体数が増加する,すなわち飼育技術が着実に発展して
いる成果を見せているのです。 しかし,浮遊期幼生(フイロゾーマ)を沈着幼
生(プェルルス〉まで飼育する研究にはぼ一世紀近い時間を要した歴史を考えると,種苗量産の夢
を果たすのに安易な期待を抱くのは禁物です。飼育研究が長引いたのは,ひとえにフイロゾーマの
性質にあるからです。ほぼ300日前後も浮遊生活をする幼生を大量に飼育するのには,どれほどの
苦心が必要かを考えなければなりません。着実に研究を積み上げて行けばやがて目的を達すること
は,イセエビの幼生飼育の歴史自身が教えているのです。やたらと性急な期待をせずに,急いでし
かし確実にという気持ちが目的に近づく早道でしょう。
 2 プエルルスの出現
 イセエビのフイロゾーマの飼育は1898年に始められたのですが,プェルルスを最初に記載したの
は1891年のOrtmannで,その材料は1881年にDoderleinが高知県で採集した2個体の標本で
あったということです。こうした因縁か,わが国ではプェルルスについて世界に誇れる優れた研究
が残されています。
 中澤琴一(1917)は,フィロゾーマ・プェルルスの生態について当時の既往知見を整理して,
プェルルスがさまざまな場所で採集されることを述べています。その後,木下虎一郎(1932)は
夜間に灯に寄ちて水面を泳ぐプェルルスを採集していますが,この記載は世界で最初のものだと思
います。プェルルスの採取場所の一つに,藻場があることは中澤が既に記述していますが,1942年
愛知県伊川津の藻場で4月下句に13尾のプェルルスが採集されました。そのことによって,大島泰
雄はフイロゾーマの期間がはぽ1年の可能性のあることを最初に指摘しました。イセエビ類の
フイロゾーマの期間が米・豪などで推定され始めたのはその約10年後からであり,飼育によって確
かめられたのは約40年後であることから見ても,この推定がいかに先駆的であったかが分かります。

3 イセエビの漁獲
資源の性質を知る最良の方法は,漁獲を知ることです。
 全国のイセエビ漁獲量は,1952年から1992年の41年間では図1に示したような動きをしていて,
平均1273.6トンです。図から分かるように年々の変動の割合は小さく(変動係数は017),他の魚
頬と比べると変動が小さいのが特徴です。筆者はかつて,イセエビ,クルマエビ,ガザミの変動係
数を比較したことがありますが,その場合の変動係数の比は1:2:3.5であり,同じ甲殻類の中
でもイセエビの漁獲の安定性が大きいことが分かります。
 しかし,イセエビも全国一律に同じような変動をしているわけではなく,海区別に変動係数を計
算すると太平洋中区0.20,太平洋南区0.22,東シナ海区0.28と変動の大きさが違い,図に見られる
′ように変動の時期も違います。したがって,海区ごとの漁獲量の増減が相補って全国の安定をもた
らしていると言えます。 同様なことが,海区とそこの各県にも当てはま
ります。図には,例としてC県とN県の変動を示しましたが全国や海区に比べて変動が大きいこと
が分かります。因みに,C県の変動係数は0.33,N県のそれは0.43です。県の段階でもイセエビは
他の魚類に比べて,変動係数が相対的に小さくなっています。
 県と各地先との変斬係数は,同じような関係を示すでしょう。
 以上のことを集約すると,イセエビの漁獲量は区分が小さいとそれぞれの変動をしているのです
が,区分が大きくなると相補って変動が小さくなり,全国合計の変動が最小となります。このこと
から,イセエビの資源補給は全国的に比較的に安定していることが想像されます。筆者はこの安定
性はフイロゾーマ幼生の期間の長さに関係していると考えています。浮遊生活が短ければ短い程瞬
間的な条件が幼生の生き残りに直接的に影響しますが,期間が長ければ長い程多くの条件の影響を
受け,その条件の総和は年々に大差ないとすれば結局生き残り量は同じようになると考えるので
す。ただし,場所による資源補給の多寡はその場の海流などの条件に左右されていると考えます。
 また,全国の漁獲量が長年にわたって大きく変化していない,特に減少していないことは,イセ
エビの資源と漁業の関係の上で非常に大事なこと と考えています。安定した漁獲が得られているこ
 とは,他の多くの漁業に見られないことです。その理由の一つは,資源の補給の安定性にあり,他
 の一つは現状の漁業規模が資源に見合っているた めだと考えられます。したがって,漁獲効率をもっ
 と高めようとして漁具を大きく変えたり漁場を拡・張したりすると,この安定は崩れてくる危険があ
 ります。そうした失敗例は,いやになる程度経験しているではありませんか。
 これらの考えは想像の域を出ないのですが,なぜイセエビの漁獲が比較的安定しているのかを解
くことは,イセエビ漁業を発展させるために今後の大切な宿題だと思います。

4 地先の漁獲変動
 イセエビの漁獲は,都府県の規則により産卵期である夏を中心に定められた禁漁期間(2カ月か
ら5カ月)があるのでその余の期間です。 漁獲の様子を調べると,どこの地先でも禁漁期
が終わった直後の漁獲は多く,その後減少して2月頃に最低となり,春先に向かって増加するとい
う型を示します。一人一夜当たりの平均漁獲量〈CPUE)でも同じ傾向です。
 ところが,減少・増加の割合は一つの地先でははぼ一定しているのですが,何処でも同じではな
く地先間では違っているのです。つまり,地先ごとにイセエビの漁場への去来の仕方がきまってい
て,特有の漁獲の型があるのです9)。漁獲の型が決まっているとすると,漁期初めの漁獲によって
その漁期全体の漁獲を推測することができます。現にいくつかの実例がそのことを示しています。
 もう一つ,地先の漁獲に特徴があります。それは,その地先で獲れるイセエビの大きさつまり年
齢構成が決まっていることです。若齢エビが主体の地先もありますし,高齢エビだけの漁場があ
ります。その地先の年齢構成はいつまでも変わりません。筆者は,30年を経た前後のエビ
の大きさを比較したことがありますが,全く変わっていませんでした。このことは,その漁場の
性質に応じた年齢群がそこに棲息していて,成長に応じてエビが棲み場所を変えて行くことを教え
ているのです。そのことから,若齢群の多い漁場で高齢群を増やそうとしても生半可なことはでき
ない,自然の形をすっかり変える位のことをしなければできないことだと言えましょう。
 地先の漁獲の型とエビの大きさは,関係がありそうです。しかし,この間題はよくは研究されて
いないので,これからの宿題です。

5 イセエビの性質
 イセエビは,昼間は岩礁の棚,石の下,堤防の隙間などの陰に潜んでいます。日暮れになるとそ
こから這い出て餌を探し歩き,明け方にまた岩陰に隠れる生活をしています。餌となるのは,小型
の貝やカニなどが主体です。
 昼間にエビの隠れる場所についての実験をしました。海岸に掘った生簀や陸上の水槽にエビを
入れて観察すると,エビが集まる場所に順位があることが分かります。エビの数が少なければ順位
1の場所だけに集まりますが,数が増えてくると次第に順位2以下の場所に集まってきます。面白
いのは,順位1の場所が飽和してから次の順位に集まるのではなく,全体の数に応じて集まる場所
への数の配分が決まるのです。実験槽に石を積んで隠れ場をつくるとそこが順位1の場所となって
同じようなことが起こります。従って,エビは集まる場所の価値を相対的に判断しているというこ
とになります。どうして,エビが全体の密度に応じて集まる場所を選択するかの機構は分かりませ
んが,ともかく法則的な現象であり,漁場でも同じことが起こっていると言えます。
 もう一つ,大切なイセエビの性質があります。千葉県小湊に東京水産大学の前身である水産講習
所の実験場があり,1937年実験場地先海面に禁漁区が設定されました。禁漁区設定の前年から,そ
こでイセエビの漁獲試験が継続して行われました。その結果を図4に示しましたが,禁漁区が
設定されてからエビの試験漁獲数が急速に増加していることが分かります。それと同じ割合で漁獲
重量も増加しています。従って,平均個体重量は変わらないので,前項で述べたその場のエビの年
齢構成は変わらないことを証明しています。どうして,禁漁にするとエビが集まって来るのかの説
明はきちんとされていませんが,確かにエビが集まるのです。

6 イセエビの増殖
 以上にイセエビの資源と個体の性質を述べましたが,そうしたことを上手に利用したのが増殖方
法です。
@ 禁漁期 前述のように,各県で産卵保護のため産卵期の漁獲を禁止しています。産卵保護が
 どれほどの効果をもたらすかを量的に図ることは非常に難しいことですが,エビの活動が最も
 激しい,従って獲られやすい期間,操業を禁止しているので,この面での資源保護に役立って
 いるわけです。
A 体長制限 禁漁期と並んで産卵保護の目的で,各県で制限体長(頭胸甲長)を決めていま
 す。せめて一度は産卵させてから漁獲しようとする考えによるものです。これも,量的に効果
 を図ることは難しいことです。
B 禁漁区 漁業者は経験的に禁漁区にエビが集まることを知っていて,殆どの地先に禁漁区が
 設けられています。禁漁区は,その周囲の漁場よりエビの密度が高くなるので,その境界では
 いつでもエビがよく獲れるのです。年に数回共同で禁漁区のエビを直接獲って利用している地
 先もあります。
C 休漁 禁漁区を全漁場に引き延ばしたのと同じことですが,地先全体のイセエビ漁を1〜2
  年間休む方法です。現在ではとても実現し難い方法ですが,過去に和歌山県と長崎県で意図的
 に実践されて大きな効果をあげたことが記録されています。禁漁区と同じように休漁により漁
 場全体のエビの密度が上昇して,休漁中の補償を考えても余剰が充分ある位の効果があったの
 です。
D 築磯 イセエビは物陰に集まりやすいので,投石や築堤がよい漁場になります。ある堤防周
 辺の漁獲量の調査によれば,その堤防の建設費が2〜3年で償却されると計算できる例もあ
 ります。ただし,こうした築磯の漁獲について調査研究された報告が非常に少ないので,効果
 を具体的に計算しさらに築磯の計画に役立てることができないので,今後の研究が望まれてい
 ます。
E 増殖壕造成 プェルルスは,フイロゾーマの浮遊生活から稚エビ以降の底棲生活への移行期
 で,流れの緩む場所に出現します。そのプェルルスが出現しやすい状況を積極的につくり,そ
 の後の生き残りを保護し資源を培養しようとするのが増殖場造成事業です。その効果が確かめ
 られることが期待されています。
7 まとめ
 イセエビの増殖の原理は,エビが集まることにあります。漁を休むとエビが集まり,また物陰
 に集まる性質を利用すればよいです。特に,禁漁・休漁の事例で分かるように漁を休めばエビ
 が集まるのですから,漁獲の頻度を高めることはマイナスに働き,ゆっくりと操業すればプラ
 スに働くことが自ずと分かります。そうした実践により,イセエビ漁業はかなり漁獲が保障さ
れるはずです。よい漁場が少なければ,有効な築磯をつくればよいのです。
        文′  献
1)服部他助・大石芳三(1899〉龍蝦押化試験第一回 報告 水産講習所試験報告,1(1),76−131.
2)野中 忠・大島泰雄・平野頑次郎く1958)イセエ′どのフイロゾーマのその脱皮 水産増殖,5(3),13 −15.3)井上正昭(1978)イセエビのフイロゾーマの飼育 に関する研究−T 形態について 日本水産学会 誌,44(5〉,457−475.4)T.Yamakawa,M.Nishimura,H.Masuda,A.Tu・
 jigado and N.Kamiya(1989〉 Complete Larval Rearing of theJapanese Spiny Lobster jも乃αJf和∫ ノゆ0乃fc狐 NIPPONSUISANGAKKAISHI,55〈4)
,745.5)J.Kittaka and K.Kimura(1989)Culture of
Japanese Spiny LobsterJも和α〃rMノゆ0乃f伽from EggtoJuvenileStage.NIPPON SUISAN GAK・
 KAISHI,55(4),963−970.6〉中澤毅一(1917)伊勢蝦の変態研究 附幼虫の生
 態に関する所見 動物学雑誌,29(347),259−267.7)木下虎一郎(1934)伊勢蝦のPuerulusと其後の 変態に就いて 動物学雑誌,46〈551),391−399.8)大島泰雄(1948)イセエビの変態期間と年齢に関 する一考察 日本水産学会誌,13(5),210−212.
9)野中 忠(1982)漁獲に表われたイセエビ資源の 性状 静岡県水産試験場研究報告,(16),31−42.10)野中 忠(1966)棲所に関するイセエビの習性に ついて 日本水産学会誌,32〈8),630−638.11)大島泰雄監修(1962)浅海増殖事業−その生産効 果一 海文堂(東京)刊,PP133.
12)大島泰雄(1976)イセエビ資源の培養に関する考 え方 水産土木,12(2),1−3.

以上 財団法人日本栽培漁業協会  「さいばい」 1995.4 より

以下 独立行政法人 水産総合研究センター 栽培漁業部 栽培漁業センター
2004.2    栽培漁業誌より
イセエビの栽培漁業”幻から夢ヘステップアップ,そして現実へ

                    独立行政法人水産総合研究センター
                  南伊豆栽培漁業センター 村 上 恵 祐
 はじめに

「ギーギー,ギッ,ギッ,ギッ……」9月中旬,ここ静岡県南伊豆町のとある漁港.早朝5時30分。
待ちに待ったイセエビ漁の解禁とともに,漁港の作業場に並べられた刺網の中から聞こえてくるイ
セエビの悲鳴!?。この勇ましい姿形,赤い色,また,長いヒゲと曲がった腰の容姿は長寿のシンボ
ルとされ,大変縁起が良い食材として珍重されており,お祭りでは神社への奉納にも利用されてい
ます。珍重されるがゆえに一般市場では高価で1尾当たり数千円の値が付き.一般庶民である我々
には高嶺の花でありとても手が出ません。 イセエビは,主に茨城県以南の太平洋側から九
州沿岸及び南西諸島の黒潮または対馬暖流の影響下にある岩礁やサンゴ礁域に生息しています。イ
セエビは夜行性で.夜になると餌を探して岩場をウロウロと彿掴しますが,満月の夜など海底が比
較的明るい時には積極的な接餌行動を起こしません。イセエビ漁はこれらの行動生態をうまく利用
し,満月の前後1週間〜10日間を避けて岩礁地帯に刺網を設置することにより行われています。
 日本におけるイセエビの年間漁獲量は1960年代後半の約1600トンから,近年では1200トン程度
まで減少してきており,特に九州沿岸での漁獲量は1/3以下にまで減少しています。太平洋沿岸
の産地のトップ3は千葉県,三重県,静岡県で,2000〜2001年の漁獲量は,千葉県が183〜250ト
ン,三重県では163〜173トン,静岡県が155〜160トンと九州沿岸とは対照的に比較的安定した
水揚げを記録しています。南伊豆栽培漁業センターが位置する静岡県南伊豆町でも近年の漁獲量は
安定しており,2000年は45.4トン,2001年は50.8トンと全国の市町村で3位の水揚げを誇っていま
す; 年間1.潟gン以上ものイセエビが漁獲され流通しているにもかかわらず,その10倍ともいわ
れる外国産のイセエビ類が輸入されており,エビ類全体の輸入額では豚肉や牛肉よりも多く堂々の
No.1だそうです。日本人は年間1世帯当たり約7000円も消費すると言われるほどエビ好きです
が,一般庶民の我々の食卓にはイセエビはほとんど並ばないのでは‥・・・・。
 イセエビを“庶民の食材’にすべく,イセエビを対象とした栽培漁業の技術開発に挑戦するのは
我々の永遠のテーマですが,天然海域における初期生態の全貌が未だ解明されておらず,幼生期の
人工飼育が非常に困難であるイセエビ,栽培漁業による計画的な資源利用は果たして可能なのでし
ょうか。

 イセエビの初期生態で最近明らかに
 なってきたこと

 イセエビの産卵期は5〜6月で,産卵後1〜2カ月間は腹部に卵を抱き,7〜8月に幼生が
ふ化します。ふ化した幼生は体長1.5mmほどの大きさでフイロソーマと呼ばれ,頑丈な体の親エビ
とは似ても似つかない透明で平べったく,クモのような弱々しい形をしています。フイロソーマは
透明で長い足を持ち,その脚の途中にある鳥の羽のような遊泳毛を盛んに動かして水中をふわふわ
と漂います(写真1)。ふ化後約1年もの間,浮遊生活を続けて約20倍の大きさに成長し/体長約30
mの最終期フイロソーマとなります。その後プユルルスと呼ばれるガラス細工のような透明なエビ
(体長約20mm)に変態して,着底生活に移行します。このプエルルス幼生は沿岸の岩礁
域の小さな穴や藻場に生息しており,およそ10日〜2週間で色が着いた稚エビ(体長約20mm)へ
と成長します。
 これまでのところ,沿岸で着底生活するプエルルス以降の生態については明らかにされてき
ましたが,フィロソーマ幼生の1年間の浮遊生活期間が諸説紛々で謎だらけだったのです。和歌
山県沿岸域でふ化後間もないフィロソーマが採集されたり,伊豆半島石廊崎沖では体長30mm近いフ
ィロソーマがイカ釣りの針に引っ掛かったり(後にウチワエビ類の最終期フィロソーマと推定され
た),愛媛県宇和島市沿岸では大きな?フィロソーマがクラゲにしがみついて海岸に打上げられた
り・…‥。
 近年,独立行政法人水産総合研究センター東北区水産研究所が1989〜1992年の冬季を中心とし
て黒潮沖合水域で行った採集調査によると,体長12〜22mmの幼生期間中期にあたるフィロソーマ
が見つかりました(同海域で最終期フィロソーマも採集)。同西海区水産研究所が1999年に行った
調査によると,薩南海域における黒潮域で最終期フィロソーマが優占的に分布すると報告しています。
 黒潮沖合域では西方へ移動する巨大な渦流が衛星画像などから観察されていることから,西海区
水産研究所では沿岸でふ化したフイロソーマは,ふ化後4カ月以内に黒潮沖合域に移送され,渦
で構成されると考えられる沖合水域で成長し,最終期フィロソーマで再び黒潮主流域に入り,プエ
ルルスへと変態した後,沿岸各地先で着底生活に入るものと推定しています(同研究所,吉村 拓
沿岸資源研究室長私信)。
 沿岸地先における採集調査において,6〜8月を中心としてプエルルスや稚エビが採集されて
いることから,ふ化の時期を考慮するとフィロソーマの浮遊期間は天然海域でも約1年間と考えら
れます。 日本の沿岸各地だけでなく台湾にまでに生息するイセエビの幼生が,すべて黒潮沖合海域に大
集合するとなると,ここ南伊豆で今日獲れたイセエビは何処で生まれたのでしょうか。私たち人間
の間でも不安な人がたくさんいるかもしれませんが.今後は幼生と親エビのDNA鑑定をしなけれ
ば親子関係もはっきりしないことになります。沿岸で生まれたフィロソーマは果たしてどのくらい
の確率で出身地に帰ってこられるのでしょうか。また,日本各地の関係者がイセエビ資源を大切に
管理すれば本当に各地の資源は安定するのでしょうか。

 フィロソーマ幼生の人工飼育は何故
 困難なのでしょうか

 フィロソーマの人工飼育について初めて報告されたのは100年ほども前の1899年で,フィロソー
マのふ化幼生を飼育した事例について報告されています(水産講習所:現東京海洋大学)。その後
1958年にはアルテミアノープリウスを餌料にすることで,ふ化幼生から脱皮齢で3齢までの飼育に
成功しました(東京大学臨海実験所,三崎油壷)。さらに,1981年にはアルテミア,ヤムシ,仔稚
魚を給餌して253日間飼育することにより,プエルルスに変態する直前の最終期のフィロソーマを
得ることができました(神奈川県水産試験場)。そして.人工飼育によるイセエビの稚エビ誕生
は,三重県水産技術センター(現:三重県科学技術振興センター水産研究部)と北里大学によって
1989年に成功したのです。このときに使用した餌料は,アルテミアとムラサキイガイの生殖腺であ
り,三重県では止水換水方式,北里大学では流水方式(循環方式)による飼育方法を採用しました。
 独立行政法人水産総合研究センター南伊豆栽培漁業センター(旧(社)日本栽培漁業協会南伊豆事業
場)では,イセエビの栽培漁業技術開発を目指して,イセエビフィロソーマの飼育への挑戦を1989
年に開始しました。奇しくも稚エビの人工飼育成功と同じ年でした。南伊豆栽培漁業センターで
は,1989年以降人工ふ化したフィロソーマを飼育し,数々の飼育試験を繰り返してきました。しか
しながら,プエルルスや稚エビまで育成できた事例は多くなく,その飼育経過は非常に不安定であ
り,2000年までの飼育試験の結果では,最も成績が良かった年が1993年で,プエルルス144尾,稚
エビ54尾の生産にとどまっています。 人工飼育により稚エビを産み出すのに約90年を
費やし,飼育研究が始まってから100年以上も経過しているのに,どうしてイセエビフィロソーマ
の飼育技術は他の魚種ほど進歩しないのでしょうか。
 飼育が非常に困難である理由としては,フィロソーマの幼生期間におけるいくつかの特異性に
よるものと考えられます。第一にその幼生期間が300日以上にも及ぶということです。現在飼育研
究が進められている甲殻類の中でも,これほど長い浮遊期間を持つ種類は他にはありません。フィ
ロソーマの飼育水温は24〜27℃で,飼育水槽内の環境はバクテリアや原生動物等の格好の増殖条
件でもあり,300日以上も飼育を継続するわけですから,その飼育は特に病原性細菌の増殖との戦
いと言っても過言ではありません。飼育水槽の底には,残餌や脱糞などがあり,これらがバクテリ
アの温床になるため,フィロソーマが常に大量のバクテリアと接触する機会が多くなります。した
がって,300日以上もの長い期間フイロソーマに適した清浄な環境を維持し続けることは至難の業
なのです。
第二にフィロソーマの形態的な特異性が挙げられます。フィロソーマは平べったいクモのような
形をしており,ふ化後30日以上経過すると正から負の走光性へと変化するため,飼育環境下では暗
い場所に蝟集しやすく,成長すると長い胸脚同士が絡み合い,成長すればするほど胸脚が折れやす
くなります。特に,ふ化から200日以上経過した脱皮直後のフィロソーマは,水の中に漂うティッ
シュペーパーのように弱々しく,外的なショックによって壊れてしまいそうなくらい柔らかくなり
ます。したがって,脱皮時における個体干渉の確率の高さはそのまま生残率を悪くする結果につな
がるものと考えられます。
第三に人工飼育環境下でフィロソーマをプエルルスにまで成長させるのに適した餌料が,ムラサ
キイガイの生殖腺しかないことです。フィロソーマの摂餌生態はその口器の構造から,
他の甲殻類の幼生と比較すると咀嚼力が弱く,時間をかけて少しずつ餌を咀嚼し,そのエキス分だ
けを消化器官である中腸腺内に少しずつ取り込んで行くという特徴があります。この摂餌生態にム
ラサキイガイの生殖腺の物性や細胞の状態がうまくマッチしたものと考えられます。さらに,ムラ
サキイガイの生殖腺はDHAやEPA等の脂肪酸だけでなくアミノ酸等の含量が非常に高いため,
栄養源としても抜群に優れているのです。南伊豆栽培漁業センターでは,これまでにプランクトン
約20種,仔稚魚3種,貝類6種,魚類の卵巣や肝臓,果ては牛や豚の肝臓まで数十種類の摂餌試験を実
施しましたが,残念ながらムラサキイガイに匹敵する餌料は発見することができませんでした。
 フィロソーマの飼育が困難な第四の要因として挙げておきたいのは,“人”です。フイロソーマ
がふ化して1年後,プエルルスから稚エビに成長する頃にはまた新たなフィロソーマがふ化を開始
します。ということは,フイロソーマの飼育試験はエンドレスに継続することになります。フィロ
ソーマの飼育技術の進歩を大きく′妨げている原因は,もしかしたら飼育研究に携わる関係者の体力
と気力の減衰にあるのかもしれません。
 以上のようなフィロソーマの飼育が困難な原因を解決するために,これまでいくつかの取り組み
がなされてきました。 飼育水槽内のバクテリアの数を少なくするため
の方法として,水道の浄水器にも利用されている中空糸ろ過膜を利用し,バクテリアを物理的に除
去した海水が常時使用可能なろ過設備を整備しました。これにより,数尾単位であった稚エビの生
産が,数十尾単位に進歩しました。しかし,水槽規模を拡大した新たな実験系の中では餌料からの
バクテリアの混入とその増殖のため,未だ安定した飼育技術を開発するには至っていません。
 フィロソーマの長い胸脚の欠損を防止する方法として,水槽の底に角が無いサラダボールのよう
な水槽が開発されました。このボウル型水槽は,角のある水槽に比べてフイロソーマを分散させる
効果があり,フィロソーマの個体干渉を少なくし胸脚欠損を軽減させる効果がありました。
餌料の開発では,未だムラサキイガイに優る餌は見つかっていませんが,短期間の飼育が可能な
餌はいくつか見つかっており,特にサクラエビは成長が劣るものの282日間も飼育が可能でした。
 2000年までの最も安定したフィロソーマの飼育方法は,三重県水産技術センターで開発された
容量1g以下のボウル型水槽を用いた止水換水方式です。つまり,毎日水槽交挽を行い,毎日抗生
物質を一定濃度添加した海水を入替え,アルテミアとムラサキイガイの生殖腺細片を毎日給餌する
飼育方法です。この飼育作業をプエルルスに変態するまでの約300日間,毎日繰り返します。この
方法はこれまでフィロソーマの標準飼育方法として位置付けられており,.手間はかかりますが稚エ
ビまでの生残率は20〜40%が期待できます。

21世紀の技術的な進展に期待

21世紀に時代が替わり,わずか数年しか経過していませんが,フィロソーマの飼育技術が大きく
進展しようとしています。天然海域での初期生態が解明され始め,その調
査の中で天然のフィロソーマの遊泳行動や摂餌生態なども少しずつ明らかになりつつあります。た
またま活性が高い状態で採集された体長20mm程度の天然のフィロソーマは,人工飼育環境下でふ化
直後に観察される前転遊泳をしており,活発な運動能力を持っていました。人工飼育では,日齢が
進むにつれて前転遊泳が見られなくなり,水槽の底付近で遊泳毛を動かしながら移動している(と
表現した方が良いかもしれない)状態がほとんどです。飼育環境下でもこのような活発な遊泳行動
が継続できるような飼育環境を整えることが目標となります。また,天然のフィロソーマが嗜好す
る餌料は,ヤムシ類やゴカイ類であることもわかつてきました。これらの天然プランクトンの物性
や栄養分を明らかにすることは,将来の人工飼料の開発に役立てるものと期待されます。
フイロソーマの人工飼育技術については,新たな飼育装置の開発を進めています。南伊豆栽
培漁業センターでは,2000年以降,フィロソーマに餌料を効率的に摂餌させるための回転型飼育装
置の開発に取り組んでいます。回転型飼育装置は,容量70リットルのアクリル製でドーナツを
立てた型となっており,モーターの駆動により回転でき,水槽を回転させながら注水と排水及び水
温制御が可能な特色を持っています。これまでの飼育試験の結果,@回転速度は6〜6.5分/回転
が最適であること,A回転により水槽内に水流を発生させ,給餌したアルテミアやムラサキイガイ
の生殖腺を常に動かすことが可能で,フィロソーマとの遭遇機会が増えること,B水槽が常時縦に
回転するため底面の堆積物が少なく清浄性も確保され,水槽交換の頻度が少なくなること,Cフィ
ロソーマが沈降しにくく浮遊状態が維持されるため,活性が高くなることなどが明らかになってき
ました。従来の容量50リットルのボウル型水槽で飼育した場合と回転型飼育装置による飼育を比
較すると,稚エビまで9.7%から28.3%へと生残率が約3倍に向上しました。その結果,2001年に
飼育を開始した群で椎エビの生産尾数が78尾まで増加しました。また,プエルルスから稚エビヘの
生残率も大幅に向上しました。
 2002〜2003年の飼育試験では驚くべき情報がありました。三重県科学技術振興センターでは,
2002年にイセエビフィロソーマ用の飼育実験棟が整備され,中空糸ろ過設備の強化により常時約
3m3/時間の除菌海水が使用可能になりました。さらに,飼育水槽の楕円型への改良による飼育尾
数の増加,餌料の給餌条件や飼育環境の見直しなどにより,2002年に飼育を開始した群では稚エビ
までの生残率が大幅に向上し.なんと297尾の稚エビ生産に成功しました。
 フィロソーマの飼育には,依然として細菌性疾病の多発をはじめとする多く不安定要素があり,
フィロソーマの幼生期間を通して安定した生残や成長を得るための飼育技術の確立は課題として残
されています。しかし,21世紀に入り.イセエビフィロソーマの飼育技術は,稚エビの生産尾数が
3桁のオーダーにステップアップしてきました。今後.飼育の不安定要素が一つ一つ解決され,技
術のさらなる進展に期待が持てる段階まで来ているのだと信じたいものです。
 
おわりに

イセエビフィロソーマの飼育技術開発に携わる者として,目標は大きく“イセエビの栽培漁業”
が一つの到達点です。“イセエビの栽培漁業”をゴールとした場合,
フィロソーマの飼育技術としては,プエルルスの姿さえ見ることができなかった1980年代前半ま
での約90年間は「幻の時代」といえます。1989年に初めて稚エビの人工飼育が可能となり,1990年
代は数尾から数十尾へと稚エビの生産尾数を伸ばし,その飼育技術が「夢の時代」にステップアッ
プした貴重な10年間であったと考えられます。 さて,21世紀はどのような進展が期待できる
のでしょうか。我々イセエビフィロソーマの飼育技術開発に携わる関係者の間では,数年前まで椎
エビが数百のオーダーで生産可能になるとは考えにくい状況でした。三重県科学技術振興センター
と南伊豆栽培漁業センターでは,毎年「イセエビフィロソーマの種苗生産技術開発検討会」を開催
し,フィロソーマの飼育研究の成果について意見交換を行い,飼育技術の向上を図っています。現
在は数百の単位で稚エビが生産可能な安定した飼育技術の確立を目指しております。
 千葉県の夷隅東部漁協(大原町〜岬町)の青年部は,千葉県勝浦水産事務所の指導を受けて,大
原漁港内で採集したプエルルスを利用して稚エビ以降も飼育を継続し,放流を目的とした中間育成
試験に取り組み,体長7cmまで高い生残率(73%)を得ています。また,静岡県南伊豆町漁協の青年
部は,漁獲制限以下の小型エビを漁獲後に再放流することが,資源の安定にどの程度効果があるの
かを明らかにするため,標識放流試験の計画を進めています。このように.イセエビ漁業に携わる
漁業者の資源増殖や資源管理を目的とした積極的な活動が各地で実施されています。
 飼育研究における技術開発の成果と漁業者の資源管理を目的とした取り組みが,一つの線でつな
がること,それが“栽培漁業”の究極の姿であると考えられます。“イセエビの栽培漁業”を現実
のものにするためにも,技術開発のさらなるステップアップに期待し,稿を閉じたいと思います。

以上 独立行政法人 水産総合研究センター 栽培漁業部 栽培漁業センター
2004.2    栽培漁業誌
イセエビの栽培漁業”幻から夢ヘステップアップ,そして現実へ

                    独立行政法人水産総合研究センター
                  南伊豆栽培漁業センター 村 上 恵 祐 氏の文より



以下は浅賀丈吉の雑感です。
エビやカニの脚は取れても再生するという話を聞いていましたので実験してみました。
平成14年4月に地元で取れた伊勢エビの中に左の一番最後の脚1本しか無い個体が有りました。
他の者と一緒に入れておくと殺されてしまうのでアクリル水槽に避難。ずっと餌をやって
飼っていても脚が再生する気配無し。再生するというのは大嘘だと話し始めた平成14年12月
脱皮。そしたら驚き。角も脚も全部そろっているではありませんか。唯一残っていた左の最後の脚
は少し変形していました。酷使したせいでしょうか。これで脱皮の時再生するという事が
確認できました。
ものの本によるとエビの脱皮には成長の為の脱皮と再生の為の脱皮が有ると言います。
又完全に再生するのには2回から3回の脱皮が必要と書いてあります。
当店の伊勢エビは8ヶ月かけて1回の脱皮で完全に再生したわけです。
私はこの伊勢エビを「奇跡の伊勢エビ」(ほとんど冗談)と呼んで飼っています。
以前は脱皮したての柔らかい伊勢エビは「ブヨ」と言って板前さんには嫌われていました。
持っていった伊勢エビが少しでも柔らかいと「ブヨなんか持ってくるな。」と板前さんに
怒られたものでした。私は「ソフトシェルクラブが珍重されてなんで柔らかい伊勢エビは
駄目なんだ。」と常々思っていました。海鮮焼きの店では積極的に使っています。
それが平成15年日本テレビの幻の伊勢エビ騒動ですっかり有名になり引っ張りだこ
いつまで続くことやら。

毎年9月15日から漁が解禁になります。満月が近くなければすぐに網を入れますが
満月が近いと延期になります。漁師さんの中には満月だと海の中の網がエビに見えてしまう。
という人がいますが本当でしょうか。伊勢エビは夜行性で光を嫌います。それで満月で海が明るい
時は穴の中でじっとしているのではないでしょうか。満月をはさんで1週間から10日間位は
伊勢エビ漁はお休みです。伊勢エビの漁期になると当店のベランダから出漁を見ることが出来ます。
日によって時間は違いますが昼の12時30分頃赤灯台の沖あたりに船が集合します。
そして合図と共に飛び出します。各自戦略が有って大きな船に大きなエンジンを積んで猛スピードで
沖の漁場を目指す船。小さな船で大きな船が入ることが出来ない陸に近い浅場のポイントを
ねらう船。どちらが良いかその日の天候潮加減等で変わる。漁師の腕の見せ所だ。
10数年前は朝トラックに(当時はこの辺はサニートラックが多かった)秤 伝票 ミカンのコンテナ
ゴザ を積んで海岸を回る。伊勢エビを網からはずした漁師さんが集まってきてみんなで誰々が
何キロ取ったと比べ有った。この当時は伊勢エビも沢山獲れた。今は他の人がいないときに持ってくる。
そして「俺が何キロ獲ったか人に言わないでくれ。」と言う。他人に漁獲高が知れると次の日に
他の人にその場所を取られてしまうからだ。
その昔流通が今ほど発達していなかった頃伊勢エビをイケスに入れておくと近隣の地区の魚屋 旅館の
人達が沢山買ってくれた。今みたいに沼津市場に日本全国から伊勢エビが集まってこなかったから。
地元の伊勢エビでは足りず南伊豆まで買いに行った。サニートラックにミカンのコンテナ ゴザに
カバー。漁協についてイケスの水を抜き伊勢エビを選ぶ。コンテナに入れゴザをかぶせさらに
カバーをかけロープをかける。1時間なにがしコーナーのきつい道路を走って宇久須に帰ってくる。
イケスに入れると元気よく動き出す。それがいつの頃からだろう。大きなタンクに海水を入れ
エアーポンプで酸素を供給。こおして持ってきてもバタバタ死に始めた。原因は何だろうか。
各種考えがあると思うが、一番の原因と考えられるのが網の巻き上げ機。今まで手で引っ張って揚げていたのが機械を使い無理矢理引っ張り上げ始めた。これにより伊勢エビにかかるストレスが倍増。
大量に死亡するようになった。もう某漁協の伊勢エビは怖くて買うことが出来なくなった。
網の巻き上げ機がすべての原因とは思わないが。
毎年1月に巳待講がある。近くの山にある弁天さんに漁師が集まり神主さん 村長 消防団長 区長
さんたちを呼んで漁の安全と大漁祈願をする。以前は禁漁区に網を入れ伊勢エビを捕り巳待講に
集まった人間に振る舞った。活きた伊勢エビを割り箸と藁で縛り私の所の釜で薪を使い茹でた。
最後に日本酒を塗って艶を出す。昔の西伊豆では伊勢エビでもサザエでも食べるときは茹でた。
刺身とか壺焼きなどはほとんどやらなかった。今は旅番組や料理番組の影響かサザエは壺焼き
伊勢エビは尻尾を刺身 頭は味噌汁というお客様が多い。でも当店は頭は絶対焼きます。
この巳待講漁師が多かった頃は出席するのは役員のみだった。内の親戚の熊沢さんが頭をやっていたとき
一部の漁師から苦情が出た。「禁漁区の伊勢エビを役員だけ食べるのはおかしい。」大昔から
続いていたであろうこの風習に文句を言う漁師もしょうがないが、熊沢さんも少し若かったから
気が短い。「文句が有るならやめてやらあ。」と伊勢エビを食べる風習をやめてしまった。
その後伊勢エビは弁天さんにお供えするものだけとなった。禁漁区の伊勢エビは捕らないで。
食事は仕出し屋さんの弁当。これを漁協宇久須所の二階で食べる。平成16年には昼間から
酒を飲むのは飲酒運転につながる可能性が有るとして食べないで各自持ち帰りとなった。
私が小学生の頃海鮮焼きの店が建っている所は砂浜だった。ちなみにこれを書いているのは
49才の時である。これを書いている平成16年9月にはサバやイワシを煮ていたかまやは
そんなに変わっていない。井戸も変わっていない。ここから道路をはさんで海だった。
海パンをはくと真っ直ぐ海に走った。砂浜には漁船が何隻も揚げてあり使うときに
海に入れたと思う。余分な離岸提も桟橋も無く海の透明度はすばらしかった。
この当時陸上のイケスはなく伊勢エビは海に活かしていた。海に山から切ってきた竹を浮かべ
それに竹で編んだ大きな籠を結びつける。その中に伊勢エビを入れて注文が有ると伝馬船に乗って
櫓をこいで取りに行く。この当時は泥棒もいなかったのでこんなことが出来たのだろう。
今こんなことをやっていれば一晩で無くなる。この竹の籠海鮮焼きの店を作る時まで
一つだけ残っていたのだが父が捨ててしまった。年寄りは昔の物はいらない物だという意識が
有ってこまる。





                 410−3501

静岡県賀茂郡賀茂村宇久須189−2

カネジョウ商店

TEL 0558-55-0708

FAX 0558−55−0698

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