ねあいかいがんものがたり
根合(願愛)海岸恋物語     

黄金神社への地図      このHPにも詳しい情報が       

むかし、この入江(黄金崎)に海女の母娘が住んでいた。

年頃の海女の娘は名前を波美(ナミ)といい、波美が海に潜っている時は波がひかり輝き、

あたり一面黄金が光っているように見えるほどの器量よしだった。

又、誰にでもやさしく、村のみんなに好かれる娘だった。

ある日、海に潜って仕事をしていた波美は、沖合いで黙々と漁をしていたとなり村の

青年清吉に一目惚れをし、その日以来、波美の清吉に恋こがれる気持ちは日毎に募り、

想いつめる波美の姿を見た村人たちの心まで沈んでしまった。

波美から話を聞いた母親は、娘の気持ちを清吉に伝えたかったが、女の方から愛の

告白などできる時代ではなく、どうすることもできなかった。しかし、想いつめる

娘の気持ちを少しでも和らげようと、「向こうの海岸の小石を一つ拾い、愛する人に気持ちが

伝わるように、おおまえの願いを込めて毎日黄金崎神社にお願いしてごらん。」といった。

母親のことばに、自分の気持ちが清吉に伝わるならばと、毎日小石を持って神社にお願いを

していたある日、穏やかな海が突然時化て、沖で漁をしていた清吉は

海に落ちて波にのまれてしまった。

そんな悲しい報せを聞いた波美は、ただただ清吉の無事を祈り、

今日も小石を拾いに海岸へやって来た。

拾い上げた小石に願いを込めようとした時、ふと気がつくと砂浜に人が打ち上げられていた・・・。

わずかな希望を胸に、駆け寄った波美が見たその人の顔は、時化の日、波にのまれて行方不明

になっていた清吉だった。波美は込み上げてくる喜びを抑え、冷えきった清吉のからだを

自分の肌で温め一生懸命介抱した。その甲斐あって気がついた清吉は、波美のひたむきな

愛に心打たれ、二人はめでたく結ばれた。いつしか、村人たちはこの海岸を、願った愛が

かなう「願愛(ねあい)海岸」と呼び、小石は、「恋しい」気持ちを伝える「恋石」として、

この海岸の小石を持って黄金崎神社にお願いすると、二人の心が結ばれると言い伝え、

又、清吉と波美が一生懸命働いてお金持ちになったので、この神社を黄金(お金)を

授かる神社というようになった。海女が使った井戸と、波美と清吉がめでたく結ばれて

いつも二人一緒にいた磯が「二人磯」と呼ばれて、訪れる人々に当時の恋物語を語り

聞かせるように、今も残っている。願愛海岸で愛を誓い神社にお願いした二人が、

結ばれたお礼に神社の片隅に植えた2本の椿が「夫婦(めおと)椿」と呼ばれている。

よりそう清吉と波美のように...。

この物語は、昔、この小さな漁村に起きた事件を村人たちが
言い伝えたものを、初めて物語として書き止めたものである。



賀茂村役場 刊行物より

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遊歩道を歩いていくと
赤い鳥居が見える。
これが目印
奥に向かって
歩いていくと
下の写真の鳥居が有り
黄金神社がつく。
鳥居の奥に見えるのが
黄金神社
左の石碑は
昭和56年に
復元されたときに
作られたもの

毎年、黄金崎桜祭の日に柴区の有志が神主さんを呼んで
ささやかな祭典を行っている。

黄金神社考

文化2年(1805)から文政にかけて掛川藩主の命により調査した物が
掛川誌稿巻13にまとめられている。
これには、地名として 金崎 「海岸に特立す、金及銅を産す」
黄金島「西南海中にあり」等の記述が見られる。
また産物の所には金銅として「金崎にあり、正徳年中掘たれとも、
多く出さるに因て、程なく止らる。(途中読めず)金銅は猶ありといへとも、
少なき故に採らす。」とある。かなり昔から鉱山が有ったようだ。
当然、神を祭る神社もあったと考えられる。
柴の古老の話だと、幕末の頃鉱山の人達から郷土の偉人と
言われる?鈴木伊三郎さんが譲り受け祭直したと言う。
鈴木伊三郎さんに関しては居たことは分かっていても
本当に郷土の偉人かは分かっていない。現在黄金崎に
建っている像がその人である。
その人が祭っていたが、いつの頃からか忘れ去られる。
石の社も崩れた。それではいけないと言うことで昭和56年に
散らばっていた石を集め復元。石碑を建てて祭直した。
現在管理は伊三郎さんが住んでいた柴区が行っている。
最初の鳥居(写真上)は平成12年か13年に
建て直す計画です。理由は古くなって中の木材が腐り始めたため。
建立は柴区が行う。土台をコンクリートでしっかり作る計画のため
現在の鳥居の周辺2メートルには案内板などは作ることができない。
(回りをかなり掘り返すため)
毎年4月には祭典が行われる。

鈴木伊三郎
地元では幕末の頃、軍艦 「あさひまる」に乗って大活躍したことになっている。
以前、松崎町の某先生が文献に書いていた。それで像を造り建てることとなった。
当初、柴公民館横に建てられる事となっていたが、いつの間にか
黄金崎に建っていた。その後文献そのものが嘘臭く他地区から事実無根として
クレームが出たり、地元で時代考証を行い、実在の人物の年齢等村長
役員の任期を比べたりしたがどうもうまくあわない。
それで、誰も口にしなくなった。以前から、像を黄金崎から柴公民館に
移そうと言っているが、いまだ実現しない。   

取材等
平成12年2月10日  静岡新聞に掲載
平成12年2月25日  TBSラジオ音楽スペシャル2000「春のラブソング電話リクエスト」
                電話インタビュー 山本美智留ちゃん出演
平成12年2月16日   静岡朝日テレビ「おはよう静岡」でとりあげられる。


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