今、消えかかっている言葉

        郷土研究部 藤 井 徳太郎


「はらい」の石を借りたら倍にして返せ

 網屋崎の別名を「はらい」という。この「はらい」という
語源はどこから出たものであろう。船が出港して一番最初に
港外に出はらうという意か。それとも押し寄せる波を払う
(防ぐ)所というものか。又漁船はその大小を問わず、出漁
時にはこの岬を廻る時にツルベに汲んだ湖水を行先に向かう
舳にかけてこれを清める。この時「ツイヨー」という言葉を
全員で唱和して航海の安全と大漁を祈念する即ちこの「お抜
い」をする場所という意から出たものであろうか。
 漁撈の種類によって小石を沢山必要とする漁法がある。魚
の追い込みの脅しに使うもので漁場に急ぐため、どうしても
手近なこの「はらい」の右を借用する。この場合、この漁船
は当日なり、数日の内に遠磯より右を拾って来て「はらい」
へ返す。この行動を指したもので本当に当を得た戒律であり、
漁民は厳格にこれを守った。又「はらい」を愛した。今では
コンクリートの防波堤やテトラポットの投入で頑丈な防護策
を講じてはあるが、これをもって万全とは言えない。今でも
立派に通用する訓えである。


 弁当の「めし」は全部喰べるな一口残せ

 昭和初期までの沿岸漁船は無動力で櫓を操っての手漕舟で
あった。船内での炊事施設はなく、又遠方までの出漁は不可
能であった。出漁する朝、メンパー(メンパ)に「めし」を
 一パイ詰めて適当なオカズをもち、スカリに入れて出掛ける。
操業を始め、時がたつにつれて腹が空いてくるとともに「だ
る」という怪物が身近に忍び寄る。弁当のある昼まではよい
が、食べるものが全部無くなると「だる」が急に勢いづいて
きて隙をみて襲いかかろうとしている。若しこれに取り付か
れると腰の力が抜けて立つことは出来ず、口もきけず、櫓を
漕ぐことも勿論出来ない。この昼食の弁当を一口残しておく
ことによって「だる」も寄りつけず、夕暮までの操業を可能
にしてくれる。この一口の「めし」は帰港してともづなを陸地にもや
った時はじめて喰え、この時「だる」は完全に退散する。た
しかに何時に帰港する計画であっても途中の気象の急変時等
その他によって、どのようになるか一寸先のことは分からぬ。
この一口残した「めし」が色々の要素と意義をもっているこ
とを教えてくれている。これも立派な教訓だ。


海に隣りは無い

隣りというものは本当に有難い存在で、ちょっと物を借用
したり、珍味のものや山海の幸の初物は必ずというほどいた
だける。又力も出してくれるし、頼りにもなるし、当にもな
る。それが海となると隣りに船がいるからといって、それが
何時までも隣りではない。お互いに動いているから隣りであ
ったり遠くであったりする。常に一定していない間柄であり、
不特定の隣りである。従って陸地のような関係は当然生じな
い。漁撈の最中に道具を海に落としたり、餌に不足が生じた
場合、ちょっと待ってくれ、隣りに行って来るからと
いうわけにはいかないし、そんな物笑いになる行動は出来な
い。又隣り船だからといって、その要求に応じてくれるはず
はない。漁具も漁期と漁況を考えて持て、食糧も持て、水も
持て、薬も持て 常に考えられる充分な準備と予備品を
持って出漁せよとの訓えである。
                − 祖母の話より 

昭和60年賀茂村教育委員会発行 文芸かも より

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