柴(芝)区の旧上水道


賀茂村文化協会郷土研究部

国道バイパス新宇久須トンネル柴側入り口付近に徳川時代と伝えられる鉱抗が二本通っていた。
この下方の鉱抗からは絶えず清水が湧出し、これが柴区民の生活用水として永年利用されてきた。
がこの鉱抗はバイパス工事により掘り貫かれて消えた。
柴区に現水道が昭和31年1月より通水されたが従来の水道はその後利用され続けた。
この鉱抗は、浜の専念寺裏の崖下の穴まで通じていると伝説的に伝えられている。
この鉱抗は斉藤達郎宅裏山裾に息抜き支抗が開いている。
鉱抗出口辺りには大きな水車が回り下流には田甫もあった。
当時の柴区の上水道はこの鉱抗の湧水を土管を継ぎ合わせた水道管で引水され鈴木文作宅地角に貯水槽があって
山本浪雄宅前の水槽へ、川向こう方面へは柴の中道沿い(往還)に柴川右岸まで
土管水道で引いたのでこの水道を「どかん」と呼んでいた。
この「どかん」には処々に貯水槽が設けられ水を汲むだけの水槽と洗い場の附設した水槽とがあって付近の住民は
夫々生活用水として利用し、又井戸端会議も行われてニュース源ともなった。
水槽の設けられた箇所は、山本浪雄  鈴木文作 鈴木利明 石川貞男   旧山地家   旅館東洋    民宿又平江屋
山本七三郎  鈴木庄治 柴川右岸で夫々 宅地内またはその側にあった。
またその枝線が海岸に向かって引かれ、鈴木文作 浅賀泉 旧山地家などの宅地内に設けられていた。
因みに堀井戸のあった家は 浅賀浩巳   民宿円蔵屋  井上安平 奥山喜代治  旧山地家 旅館大和館 
山本七三郎 浅賀寔 城福寺 以上の夫々の宅地にあってこれは個人所有のものである。



ちなみに我が家にも井戸がありました。今もありますけれど。カネジョウ



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