民話 根先のばあさん

根先のばあさん

安良里の港を出てハライ(網屋岬)に沿って進むと前方に大きな岩盤が三つ、

四つ崖上から転がり落ちて、そのまま張り出して座り、岬を形づくっている。

この岩盤を取り巻くように波間に見え隠れする岩礁や波石根(はえね)

が広がっている。ここを根先(ねさき)と呼んでいる。

ここに「根先のじいさん」と呼ぶ岩礁と「根先のばあさん」と呼ぶ暗礁がある。

この根先の陸にわずかな畑作りと漁業を生業とする仲の良い夫婦が住んでいた。

おトネさんは夫平七さんが毎朝漁に出掛ける刻、

昼の弁当を手渡しながら「今日はニヤへ行かっしゃい。○○根に魚が寄る」

と語りかける「お前に海のことが分かるか」と相手にしなかったが、

毎朝のように「あの沖がよい」とか「あの根がよい」とか言うので試しと思い

、ある朝話しかけられた場所へ行った。そこで珍しく豊漁に当たった。

翌日もまた、翌日も暗示された場所へと行くと必ずといってよいほどの

大漁が続けられた。しだいしだいに平七さんはトネさんに、

その日の漁場を聞くようになり、連日豊漁が続いた。

このことが数年続いた。里人は平七は漁男だ、神憑だと噂をするようになった。

ある人は不思議がり「お前はどのような感で漁場を決めて行くのだ」と平七に尋ねた。

「なーに、俺は漁に出掛けるときに、女房が話した所へ行くだけのことさ」と話した。

また、この話が里人に広まった。皆の衆がトネさんのもとにやってきて

その日その日の漁場を聞くようになった。トネさんは請わるるまま、

毎朝定めた一つの岩礁に立って問われる話に答えた。

また、この根先まで来なければ沖の様子は分からなかった漁師衆は

「今日は向う地の山から雲が離れた、西風は凪る」「沖が暗い、

昼になると雨風だ。早く漁から引き揚げた方がええ」「お山(冨士山)に笠雲だ。

近く雨だ」などと陽気を伝えた。トネの霊感は歳とともに冴え、漁獲量はふえ、

里は栄えて浜は賑わった。また、里人から漁神さま、富祢稲荷(とねいなり)と崇められ、

根先のばあさんと親しまれ、その名は近郷近在に広まっていった。

漁師衆は出港時には米、味噌、醤油などの日用品、入港時には漁獲物の一部を

謝礼として手渡した。トネは自分が亡くなったら、毎朝立っている岩の前の海中に

葬って大岩をのせてくれと、それとなく皆に語っていた。

そのトネも寄る年波には勝てずに亡くなり、里人は遺言どおり涙ながらに葬った。

トネ亡き後も出入港の時には必ず礼拝をして、その霊を悼んだ。

その後おじいさんも亡くなり、同じ場所のちょっと沖寄りに

妻を守るが如く同様に納められた。櫓舟当時は、このおばあさんの真上を通るのが

外海への出入りの一番の近道で、ここを通過するときは

「おばあさんに櫓下を当てるな」「竿先を当てるな」と固く戒められ、

櫓や竿を使わぬように抱きかかえ、走ってきた自船の余力でここを通った。

万が一の不注意でおばあさんに当てた場合には、当日か翌日には必ず

御神酒とお洗米を持って謝罪に行ったと。

今では櫓舟は機関付きとなり、逐次大型化し、船は波石根(はえね)の先を

廻って航行するので、このおばあさんの真上を通ることはないが、

今の大型漁船も出港時におばあさんの前を通るときは機関を微速となし、

船頭が御神酒を捧げ注いで、航海の安全と大漁満足を祈念する。

帰港時にも同様、減速して鰹漁の場合は「ホシ」他の場合は

漁獲した魚を捧げて礼拝し、畏敬の念をもって厳粛に、この事を行っている。

今も「根先のばあさん」は霊験顕たかなる漁神様として漁民の信仰が篤い。


以上 賀茂村教育委員会編集 賀茂村の伝説より


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